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広島高等裁判所岡山支部 平成8年(う)57号 判決

裁判所書記官

梶川健

本籍

岡山市西川原一丁目四三三番地の一

住居

同市西川原一丁目七番二八号

職業

鉄工業 藤井肇

昭和一五年八月五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、岡山地方裁判所が平成八年六月五日に言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官松田達生出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年六月及び罰金四〇〇〇万円に処する。

この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

右罰金を完納することができないときは、金一〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

一  本件控訴の趣意は、弁護人嘉松喜佐夫が提出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

所論は、要するに、原判決が懲役刑に併科した罰金五〇〇〇万円の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

二  そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討すると、本件は、藤井工業の名称で鉄工業を営んでいる被告人が、所得税を免れようと企て、所得金額に関する正当な収支計算を行わずに適宜過少な所得金額を計上する方法により所得を秘匿した上、原判示第一のとおり、平成二年分の実際総所得金額が一億四七九四万〇二二五円であったにもかかわらず、同年分の総所得金額が五九七万三〇〇〇円で、これに対する所得税額が五九万四〇〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額六九二五万六五〇〇円と右申告税額との差額六八六六万二五〇〇円を免れ、同第二のとおり、平成三年分の実際総所得金額が一億七三九二万三〇六三円であったにもかかわらず、同年分の総所得金額が五九一万七四五〇円で、これに対する所得税額が五四万七〇〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額八二五一万二五〇〇円と右申告税額との差額八一九六万五五〇〇円を免れ、同第三のとおり、平成四年分の実際総所得金額が八六三八万九四二七円であったにもかかわらず、同年分の総所得金額が五九八万七六三〇円で、これに対する所得税額が五四万四八〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により、同年分の正規の所得税額三八七三万円と右申告税額との差額三八一八万五二〇〇円を免れたという事案である。

ところで、検察官は、原審における論告において、本件は、動機に酌量の余地がないこと、脱税の規模が大きく、そのほ脱税率は約九九パーセントに及ぶこと、大胆かつ悪質な犯行であること、税法違反事件は著しい反社会的行為であること等を指摘して、懲役一年六月、罰金五〇〇〇万円を求刑し、原判決は、特に巨額の所得税を免れたこと、納税義務の自覚が著しく不足していたことを挙げて、右求刑どおり、懲役一年六月、罰金五〇〇〇万円に処し、懲役刑につき三年間の執行猶予にしたのである。

そこで、右の量刑の事情として指摘されている点を中心に検討を加えることとする。

1  本件の動機について、被告人は、税金は少なければ少ないほどいいという単純な動機のほか、鉄工業の経営を会社組織にし、新工場を建設するための資金を蓄積するために本件脱税行為に及んだものであることを供述しているが、所得に応じて公平に納税すべき義務が国民の当然の義務であることの自覚が乏しく、いわば個人的な利害のために脱税を図ったものであって、酌量の余地が乏しいことは否定できない。ただ、被告人が、昭和四一年、二六歳当時に個人で鉄工業を始め、以来、十分な経理処理も行なわないまま、数人の従業員と共に営々として働き、借金を作ることもなく、着実に事業を続け、二〇年余の後、自己資金で事業の拡張をしようと考えたこと自体は、あながち非難できないところである。

2  本件の経緯と態様について、被告人は、当初は税務署の係官に相談して確定申告をし、その後民主商工会に確定申告の相談をして、同会を通じて確定申告をしていたが、全国部落開放運動連合会(全解連)を通ずると税金が安くなり、税務調査も受けないと聞き込み、昭和四九年ころから、毎年二月ころ、妻が被告人に代わって、前年の確定申告書の控えのみを持って全解連の相談会場に行き、前年の申告所得額を参考にして適当な金額を決めて申告していたもので、岡山商工会議所職員で全解連として確定申告の相談を担当した者は、正しい申告をするように指導していたと供述しているが、被告人の妻は帳簿類を持参することなく、右担当者も前年の申告所得額を参考にして若干の修正を施して売上金額及び必要経費を計算し、所得金額を算出して確定申告書の下書きを作成していたというのであって、本件の三年間の確定申告書でも収入金額から約九六パーセント余の必要経費が差し引かれて所得金額が算出されている点にもこれが現れており、その相談、指導は収支を正しく計算した結果に基づいて確定申告書を作成するというものではなかったので、被告人もそのような申告が連年受理され続けたことから、安易に虚偽過少の申告を続けたものである。なるほど、本件の三年間の脱税額合計は一億八八八一万円余であって著しく高額であり、ほ脱率は正規の所得税額の約九九パーセントにものぼるが、確定申告書に相当額の収入金額を記載しながら、相談員が前記のように約九六パーセント余の必要経費を差し引いて所得金額を算出したため、申告税額が著しく少額になって、ほ脱率が大きくなった面も認められ、この点は被告人のみを責められないところがある。

しかも、被告人の経営する藤井工業の経理事務を担当していた被告人の妻は、各種伝票類に基づき売上帳、仕入帳、金銭出納帳、銀行勘定帳等を自己流で作成し、また、一か月単位及び一年単位でこれらの収支を集計してノートに記載していたが、右の帳簿に、殊更に売上げを除外して記帳したり、架空の支出等虚偽の記帳をした事実はなく、同女が確認できる収支は有りのまま記帳していたことが認められ、本件について国税局の査察を受けた際もこれらが押収され、修正損益計算の基礎資料となったものである。

したがって、被告人の不正の確定申告の方法は非常に単純であって、虚偽の帳簿作成その他欺罔的な手段を使用したものではなく、この種事犯の中では、その態様の点では特に悪質な部類に属するものとはいえない。

そして、被告人が安易に本件のような虚偽過少な確定申告を続けた点には、いまだ事業規模が小さく、売上げも多くなかった時代からの申告の経過が影響しているもので、本件脱税の方法が大胆なものであるというのは当たらない。殊に平成四年度についてみると、同年の売上金額は二億一二五八万七五六四円であるところ、同年度の確定申告書に記載した収入金額は一億九四四六万七八〇〇円であって、その差額は一八〇〇万円余であることでも窺われる。

3  本件の反社会性についてみると、膨大な利益を上げながら、自己の個人的な利欲のために不正な手段により納税を免れる行為は、国民として当然の義務を果たさないというに止まらず、現今では公平を害し、公の秩序を乱す反社会的な行為の側面であることも否定できないが、特定の団体を通ずることにより節税以上の不公正な利益が保持できるなどという意識が被告人の周りにあり、社会的にもいまだ納税意識の涵養と自覚が十分でない面があること、前記のような過大な必要経費を控除した確定申告書が受理されてきた経緯などからすると、個人事業を十分な経理処理もできないまま経営してきた被告人に対する道義的な非難にも限度があるといわざるを得ない。

4  被告人は、本件の摘発を受けて、いまさらのように自己の安易かつ軽率な行為が重大な犯罪であることを自覚し、本件捜査においても素直に国税局の係官の所得金額の算出方法を尊重し、平成六年一一月国税当局から指摘された金額に基づいて修正申告を行い、本税未納分、延滞税、重加算税等を納付し、その後の申告手続きは税理士に依頼して正しい申告をしており、今後このような犯行を犯すことはないことを誓っている。

そして、本件により、従来の取引先からの受注量も半減し、業界においてばかりでなく、個人的にもまた制裁と相当の打撃を受けることになった。

したがって、以上に検討した事情のほか、被告人の性格、経歴、職業、家庭の状況等の被告人に有利に斟酌すべき諸事情を併せ考えると、被告人に対する原判決の罰金刑はその金額の点で重過ぎるといわざるをえない。論旨は理由がある。

三  よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により、当裁判所において更に次のとおり判決する。

原判決の認定した事実にその挙示する各法案を適用し、併合罪加重をした刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一年六月及び罰金四〇〇〇万円に処し、懲役刑の執行猶予につき平成七年法律第九一号附則二条一項により同法律による改正前の刑法二五条一項を、労役場留置につき同法一八条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福嶋登 裁判官 内藤紘二 裁判官 山下寛)

一、所得税法違反

被告人 藤井肇

平成八年七月一九日

弁護人 嘉松喜佐夫

広島高等裁判所岡山支部 御中

○控訴趣意書

量刑不当の主張

原判決のうち、罰金五〇〇〇万円は重きに過ぎ、量刑不当と考えます。

一、被告人の三年間での脱税額は、一億八八八一万円であり、原判決の罰金五〇〇〇万円は、約二割六分相当額であります。

ところで、三年間で二八億一四〇〇万円の逋脱所得に対し、東京高等裁判所平成六年三月四日の判決は、罰金三億円を併科していますが、一割一分(判例時報一四九九号一三五頁)。三年間で五億四〇〇〇万円を逋脱したのに対し、罰金一億円が併科された札幌高等裁判所の判決は一割九分(判例時報一四五五号一五七頁)であり、これらの判例と比べても重きに過ぎることは明らか、と考えます。

二、被告人は、重加算税、延滞税として既に五億五九〇〇万円を納付していること、被告人の長女が、本件被告人の逋脱行為により離婚に追い込まれていることなど、既に社会的制裁を充分に受けています。

三、以上の諸点から、原判決の罰金五〇〇〇万円は重きに過ぎるものと考えます。

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